レポート|レクチャーシリーズ:Finding a -scope/-scape vol. 2

/ 2014.10.06 posted

レクチャーシリーズ:Finding a -scope/-scape vol. 2
「都市とDiY」
毛利嘉孝氏(東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科 准教授)
2013年5月24日(金) 19:30-21:30

レクチャーシリーズ第2回では、社会学、文化研究をご専門とする毛利嘉孝先生をお迎えし、「都市とDiY」をテーマにお話いただきました。自らの手でものごとをつくりだすDiYの実践はどのような背景のもとに発達してきたのか?また、それは現代の日本において、どのような試みとして現れているのか?様々な活動事例をご紹介いただき、参加者それぞれのDiY精神を鼓舞する、刺激的なレクチャーとなりました。


—DiYとは何か?
今日は、はじめに「DiY」という言葉についてお話してから、最近のDiYの動きの中から、とりわけ昔で言う同人誌と呼ばれたようなZINE(ジン)や、あるいは空間を自分たちで作っていく人達の活動を紹介したいと思います。co-labもそういうDiY的な空間だと思うのですが、歴史的に発達してきたDiYと、こうしたクリエイティブかつ非常にテクノロジーが進んでいるような空間がどういう風に交差するか、というところにとても関心があります。
では、「DiYとは何か?」というところから始めましょう。普通DiYはDo it Yourselfの略で「自分でやってみよう」と訳されます。日曜大工で犬小屋や机を作ったりすることを一般的にDiYと言いますし、言葉自体に馴染みはあると思いますが、社会学やメディア研究の中では、もう少しニュアンスのある言葉として使われています。たとえば、ジョージ・マッケイという人が1990年代の終わりに出した“DiY Culture: Party and Protest in Nineties’ Britain”という本があるのですが、彼はそこで、当時のイギリスにおけるパーティーと抵抗の文化というものを、DiY文化として名付けているわけです。
イギリスの社会学や文化史の文脈で歴史的に考えていくと、DiY文化は10年に一度の周期で盛り上がります。最初は1970年代後半のパンク文化。雑誌などを見ると、至る所でDiYということが言われています。そして1980年代末と1990年代末、そして2000年代末と周期的にDiYという言葉が復活してくるのですが、それは実は技術的な発展と深く結びついています。まず70年代後半のパンクロックを支えたのは、この時代にアナログレコードのプレスの値段が非常に安くなって、レコード会社でなくともレコードをプレスできるようになったことでした。もうひとつは、ゼロックスコピーです。それまではガリ版などで作っていたものを、複写機でコピーして大量に配れるようになったのは、大きな技術革新でした。80年代末にはコンピューターが一般に普及し、自分でグラフィックをデザインしたり、プリントすることが簡単にできるようになり、そして90年以降はインターネットが発達してきた、という背景があるわけです。つまり、DiY文化は新しい技術に伴って絶えず変革してきた、という流れがあるのです。
さて、70年代後半のパンクロックというと、一般には、行き場を失った若者が情動に任せて暴れながら、下手なギターをかき鳴らすというようなイメージがあります。私も高校時代に聴いていた時は、そういうものだと思っていました。ところが、パンクを歴史的に捉えようという最近の研究の中で明らかになったのは、発祥の地のイギリスでは、どうもそんな単純なものではなかったし、多分日本でも、もう少し違うニュアンスでパンクというものがあったということです。パンクロックの代表的なバンドにセックス・ピストルズがあります。彼らのようなパンクバンドの多くは、レコード会社に持っていっても出してもらえないので、自分たちでレコードを作ろうとレコード会社を作ります。しかしそれを売ってくれるレコードショップがないので、仕方ないからレコードショップも作る。さらに、誰も取り上げないので雑誌も作ろうということで、結果的には後のi-DやThe Faceといった、90年以降非常にトレンディな形で受け入れられる雑誌などが生まれますが、こうした雑誌も初期は本当にコピーで刷ったような簡易なもので、非常にDiY的な方法で作られていました。それが、結果的には70年代から80年代の終わりにかけて、大きな産業になっているというのが、パンクとDiYの関係です。

—パンク=シチュアシオニスト
一方で、実はパンクロックは怒れる若者たちによって1970年代に急に始まったのではなく、1950〜60年代の芸術運動と関係をもっていました。とりわけ『スペクタクルの社会』を著したフランスの思想家、ギー・ドゥボールが創始し、50〜60年代にヨーロッパに拡がったシチュアシオニスト(情況主義者)と、非常に関係があったことが明らかになっています。シチュアシオニストは、元々マルクス主義の影響下にあり、人々が資本主義の中でどの様に支配されているかということを考えていましたが、同時に、現代社会においては、昔のマルクス主義が言ったような形式ではなくて、メディアが作るスペクタクルによって人々は受動的にされているのだと考えました。「スペクタクル」とは、視覚上に繰り広げられる壮大な情景というような意味です。シチュアシオニストたちは、スペクタクルによって人々が本来もっているモノを作る力が奪われ、ただの消費者に貶められてしまっているため、メディアの支配を逃れて、自分たちで何かを変えていくことが重要なのだと主張しました。中でも、彼らが考えた戦術のひとつは、心理地理学(Psychogeography)と呼ばれる、ある種のマッピングです。地図を切り刻んで自分たちなりの地図を作って、そこを歩くことによって、今の資本主義がもたらしている管理の在り方とは異なる都市の見方を見出そう、ということを実験したのです。これ自体はあくまでも芸術運動だったので、そんなに広がったわけではありませんでした。「シチュアシオニスト」という言葉が一般に知られるようになったのは、1968年のパリの五月革命の時です。若者たちが外に出てきて、ビラを配ったり落書きをしたり、色々なメッセージを繰り広げる。そうすることによって街を取り返すと言うか、メディアに載らないような情報を流通させます。この時に、シチュアシオニストという運動が、言わば発見されたのです。実際に、彼らが作ったスローガンを使って落書きすることもありました。

ここまでは前史ですが、重要なのは、セックス・ピストルズにしても、その後のパンクロックにしても、ビラを配ったり落書きをしたりした68年のこの運動から非常に影響を受けたということです。例えば、セックス・ピストルズにとって重要な役割を果たしたプロデューサーに、マルコム・マクラーレンという人がいます。彼は、ファッションデザイナーのヴィヴィアン・ウェストウッドと一緒に、ロンドンで「SEX」というお店を出して、ビリビリに破いた服などのファッションとセットでセックス・ピストルズを売り出しました。60年代にロンドンのシチュアシオニスト同盟に参加していたマルコムは、パリの五月革命を契機に、ビラを配ったり落書きをしたりする当時の学生運動による反抗のメッセージをロックビジネスの中でやろうと考えました。自分の店にたむろしていた楽器もできない若者たちにセックス・ピストルズを結成させたのは、そうした考えを実現化したものだったのです。当時、パンクと一緒に出始めたDiY的な雑誌の中で「パンクバンドを組むためには何をしたらいいですか?」という質問に、「まずコードを3つ覚えろ。次にステージに出ろ」という回答があって(笑)、よくパンクの原点として語られるのですが、要するにそういうものとして始めるわけです。つまりパンクで重要なことは、音楽を「聴く」のではなく「やる」こと。どんな音楽でも自分でやった方が面白い、ということ。それが最大のメッセージでした。またセックス・ピストルズというグループは、ロゴなどもそうですが、ジェイミー・リードを中心に、デザイン的にもシチュアシオニストの運動に影響を受けています。ジェイミー・リードは元々、街中に落書きをしたりステッカーを貼ったりする、やや非合法的なパフォーマンスを行うアーティストでした。例えば、高そうな車を見つけると「販売中(FOR SALE)」という大きなシールを作って、そこに車の持ち主の電話番号を書いて、とても安い値段で売りに出してしまうような人騒がせなアーティストだったのです。マルコム・マクラーレンやジェイミー・リード、そしてメンバーが皆で束になって考えて作ったのが、ピストルズでした。当時よく言われた「人にやらせるんじゃなくて、自分でやるんだ」というDiYのスローガンは、このような対抗的な政治運動と実験的な前衛芸術の交差点から出てきたということが分かってきたのです。パンク自体は、ある種あだ花のように終わりますが、DiYはその後色んな形で引き継がれていきます。

—レイヴ文化からリクレイム・ザ・ストリーツへ
1970年代がパンクの時代だったとすると、1980年代はDJの時代です。80年代中ごろからヒップホップやハウスミュージックが生まれて、演奏を聴く代わりに自分でターンテーブルを使ってレコードを演奏する運動が広がっていきます。また、とりわけヨーロッパやアメリカのサブカルチャーの中では、有名なミュージシャンの音楽を聴くのではなく、工場や海辺や山の中などの使える場所を利用して、自分たちで安くパーティーを組織しようという動きが爆発的に広がっていきます。レイヴカルチャーはその中心に位置していましたが、同時に、80年代にはドラッグ文化も再燃します。60年代の終わりの学生運動と一緒に広がったウェストコーストのヒッピーカルチャーは「サマー・オブ・ラヴ(愛の夏)」と呼ばれていたのですが、そうしたヒッピー文化に照らしあわせて、この80年代を「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」という言い方をする人もいます。いずれにしても80年代には、とても享楽的な文化が拡大しました。ところがこうした文化は、ひとつはエイズ危機に示されるような過度な道徳主義の蔓延、もうひとつは東西冷戦後のグローバルな軍事的問題などによって、厳しい弾圧にあいます。特にイギリスを始めとするヨーロッパでは、人々が集まって「反復的なリズム」で踊ったりすることを禁止するCriminal Jusitse Act(刑罰法)と呼ばれる法案が登場します。そうした中で、80年代末から90年代にかけて、かつて享楽的なダンスパーティーをオーガナイズしていた人達が次々と弾圧されました。そして、それに対抗するような形で、例えば、Reclaim the Streetsというような様々なDiY運動が生まれたのです。

‘reclaim’は取り戻すという意味ですから「道路を取り戻せ」という意味ですね。これは、道路が自動車に占拠されて自由に使えないのは良くない、道路は皆のものであるから、歩いてストリートパーティーができるようなものとして取り返していこうという運動で、巨大なDJを積んだ車など色々なブースを出して、街の中を練り歩くというようなことが始まります。しかし先程述べたように、政府の方はそもそもこうしたDJのような行為を取り締まろうとしていたので、警察との緊張関係もありました。先ほど紹介したジョージ・マッケイの“DiY Culture”という本の中で一番中心になっているのが、このReclaim the Streetsです。こうした動きは、それまでのいわゆる左翼政治やマルクス主義とは違ったかたちの「DiYの政治」と言われるようになります。彼らは、革命で政府を転覆しようとか資本主義体制を変えようとしているのではありません。今まで使えなかった空間を取り返すとか、自分が関われるような政治を積極的に作っていこうとか、要するに、放っておくと消費社会や商品経済の中に取り込まれてしまうので、そうではないようなものを作ろうとしています。よく言われたのは「アンチ」ではない、反対しているのではなくて、「オルタナティブ」なものであるという言い方です。ですから、DiY文化にとっては「アンチからオルタナティブへ」というのが重要なキーワードでした。政府や政治、資本主義に反対するのではなくて、それらを問題視しつつも、自分たちで勝手に違う価値観を作っていくことができないだろうか。オルタナティブなものを作っていけるんじゃないか、という考えがとても重要だったのです。

—DiY文化の特徴
このようなDiYカルチャーの特徴を、『はじめてのDiY-何でもお金で買えると思うなよ!』という私の著書の中で6つにまとめています。まずひとつ目は「自律している」ということ。国や大きな経済や資本などとは別の価値観を作っていくことが非常に大事であるということです。ふたつ目は「享楽的である」。いわゆる政治の領域のような生真面目なものではなく、愉快なことをしたいとか、人間関係を楽しくしたいというのが基本にあって、そのために何ができるかを考えている、という意味で「享楽的」ということです。3つ目は「倫理的・禁欲的」であるということ。ふたつ目と矛盾しているように感じられるかもしれませんが、こういう活動をしている人は、なんでも好き勝手にやる快楽主義者というわけではありません。例えばベジタリアンやヴィーガン(極端なベジタリアン)の人たちも多く、自分たちが楽しむためには人や動物、自然にも迷惑をかけてはいけない、という驚くほど禁欲的な考えが同時に入っています。享楽的に楽しいものを確かに求めながらも、エゴイスティックにやるのではなく、むしろより倫理的であり禁欲的であるという点が特徴なのです。4つ目は「今、ここで」ということ。例えば10年後どうこうしようということを考えるのではなく、今の状況について、今できることを、既にあるものを戦術的に変えて対応していくということです。そして5つ目は「メディアになる」こと。「メディアを恨むな、メディアを作れ」というDiYの標語があります。新聞やTVなどのマスメディアが自分達を受動的にしてしまうことに自覚的である一方で、ただそれを批判していても仕方がないので、代わりに自分達で雑誌を作って情報発信しよう、映像を流そう、というのがその基本的なスタンスです。最後は「共有すること」。自分自身の個人の利益のために何かをするのではなくて、みんなで共有していこうということです。

[DiYの文化と政治]

本の中でも、今の話を政治的な観点から次のようにまとめています。「未来志向」ではなくて「現在志向」であること。そして政治であれ芸術であれ、限られた人だけが発揮できる「才能」よりも、誰もがもっている可能性のある「創造力」を重要視するということ。一部の特権的な指導者によるトップダウンではなく、ボトムアップ型の人々の有機的なつながりを作ることで、権力を奪取するのではなく、脱臼させる、あるいは解体させること。この運動の中心となっているのは、知識人や学生や労働組合ではなくて、ストリートを中心とした文化実践者やフリーター、子供や女性や高齢者という人たちです。重要なのは、こうした流れの中で大きな役割を果たすのが、もはや思想や理念や文化や哲学ではないということです。70〜80年代までは、思想や哲学といった活字の文化が非常に重要な役割を担っていて、それが社会を変えていくと思われていましたが、この30年かけて、それは視覚や音楽などの五感を使ったものに取って代わられてきた。その中でDiY文化は重要な役割を果たしたのです。

—DiY文化の現在:増殖するZINE
では、現在の日本ではどのようなものをDiYと呼ぶことができるのか、私が今興味あるものをご紹介したいと思います。DiY文化の中にいる人にとっては、あまりにも普通に知っていることばかりかもしれないですが、一方でちょっと離れたところにいる人にとっては、全然聞いたこともない話かもしれません。
まず取り上げたいのは、ZINE(ジン)と呼ばれているDiYの実践です。ZINEとは、マガジン、同人誌や同人文学などの雑誌のことですね。このカルチャーが、おそらく今空前の盛り上がりを見せています。1970年代に、日本でもコピーで印刷してホチキスで留めたようなZINEはたくさんありましたが、当時は印刷のクオリティに、メジャーなものとインディペンデントなものの間の差が随分ありました。ところが最近は、パソコンの発達や印刷費が劇的に下がったこともあって、ハイクオリティのZINEが個人レベルで作れるようになった。例えば『tokyoなんとか』というZINEは、色々な人たちが集まって運営しているオルタナティヴスペースが東京の西側を中心にいくつかあるのですが、彼らが連携して、自分達のスペースでやっていることを紹介しているものです。また、最近面白いと思っているZINEは『砂漠』と『未知の駅』の2誌なのですが、何がすごいかと言うと、デザインや印刷のクオリティもさることながら、インタヴューや原稿の内容も、一般雑誌に載っているようなクオリティで、でも多分色々な理由で載っていないような内容が詰められています。


[左:『砂漠』、右:『未知の駅』]

最近は出版不況と言われていて、広告が入らないとか、印刷費が高い、人手不足などの理由で面白い雑誌がどんどん消えつつあるのですが、本来であればそういう雑誌で扱っていたような内容をこうしたZINEで読むことができる。しかもインターネットとは違って、触って読める、物質的なものがあるということがとても重要だと思います。
こういうことが可能になった理由のひとつはインターネットの普及でしょう。昔はたとえば、編集者やプロデューサーが人を知っているとか、顔が利くとかいうことがありましたが、今は特別なコネがなくても、「書きませんか?」というメールのやりとりで、いきなりどんなに著名な書き手にでも直接依頼できるわけです。今はメジャーな雑誌でもそれほど原稿料が出るわけではないので、「お金はあまりありません」と言っても交渉できる可能性がある。またDTPの技術も上がったので、PCとノウハウがあればデザインで体裁も整えることができます。さらに重要なのは、この10年くらいの間で印刷のコストが圧倒的に下がって、色んな作り方が雑誌として可能になっているということです。そのコストも、自分ひとりだけでなく、関わっている人達が少しずつお金を出す。500部程度なら頁数やカラー図版の数にもよりますが、10万円くらいで作れるそうです。定価500円で全部売れたら25万円で、もしかしたら利益が出るかもしれない。でも仮に売上げを回収できたのが例えば8万円くらいだとしても、2万円は損したかもしれないけど、それは多分、皆で居酒屋に飲みに行くよりよっぽど有効なお金の使い方ですよね。500部とは言え、今の文芸誌や大手出版社が出している雑誌も1000部くらいのものはたくさんありますし、人文系の研究書などは1000部を切っていますから、世の中に出回っている影響力を考えると、あまり変わらない。もちろんテレビや新聞と比べてどうかと言うと影響力はないかもしれないですが、私の印象では、こうしたZINEは、かつて『宝島』や『Studio Voice』のような雑誌が果たしていた役割を、ある層に対しては確実に果たし始めていると思います。
『砂漠』は、大手の出版社に勤務しているプロの編集者が、仕事とは別に個人で企画を立ててやっているのですが、たぶん会社ではなかなか実現できないけれど、自分の本当に好きなことを、このくらいの規模でやっていこうという感じで編集しているのではないでしょうか。製本なんかもDiYで、普通のフライヤー印刷で刷ったページを重ねて、自分たちでホチキス留めしてコストダウンを図っているようです。私は以前広告の仕事をしていたので、ものを作るのにお金はどうしてもかかるものだという固定観念があったのですが、もはやこういうことができるようになったと知ったことは、ひとつの衝撃でした。

—増殖するDiY空間
では、このようなZINEはどこで売られているのでしょうか。たとえば新宿に「IRA(Irregular Rhythm Assirum)」というショップがあります。「インフォショップ」という言い方をされているのですが、ここには世界中のZINEやTシャツ、インディで作っているパンク系のレコードが置かれています。それぞれの国では小さなマーケットでも、世界中に配るとそこそこの部数になって売れてゆくということがあるので、特にミュージシャンの中で、そうした人的ネットワークを通じて世界中を点々と廻っているようなシーンがあります。
また、下北沢に「気流舎」という古本屋があります。元々グラフィックデザイナーだった方が、自分の好きな本を置く空間を作ろうということで出来たのですが、店の造り自体が既にDiY的で、建築の基本設計こそプロに頼んでいますが、内装はほとんどセルフビルドで作られています。中にはたくさんのZINEが置かれていて、トークイベントやシンポジウムなども開催されています。オーナー自身は、原発事故の後、お子さんが小さかったので東京を離れたのですが、今はここに通っていた10人くらいの人達が共同経営という形で、少しずつ出資してスペースを運営しています。


[左:IRA、右:気流舎]

インターネットが発達して、ネット上には何でも情報があるように感じてしまいますが、より重要な情報は、今でもフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションの中にあります。そして今、都市の中で重要なのは、そのようなコミュニケーションが成立する空間をいかに作っていくのかという問題です。話が少しずれるかもしれませんが、たとえば反原発運動の拠点に「経産省前テント広場」があります。福島の方などが中心になって、国に原発廃止を求めている場所ですが、なぜ「広場」なのかと言うと、人がふらっと来て集まって喋れる場所だからだといいます。農業に関わっている人や子どもをもつ母親達が、何か問題があった時に福島から経産省に意見を言いに来る。その時に立ち寄って喋れる場所をつくりたいということなのです。実際に人に会える場所を都市の中に作っていく。これは先程のReclaim the Streetsの日本版のような感じがしていて、とてもDiY的な実践だと思います。

 [経産省前テント広場]

また、先程の『tokyoなんとか』を共同で発行しているお店のひとつで、「素人の乱」という高円寺のリサイクルショップがあります。この2〜3年、原発の反対運動の中心ともなったので結構有名になりましたが、ここには「なんとかBAR」という、日替わりでやりたい人が店長をできる仕組みがあります。小料理屋さんだった場所を安く借りて運営していて、例えば、海外からの留学生が母国の音楽と料理を出したりするような文化的なものから、反原発のような政治的なものまでバラエティに富んでいます。実際に自分で飲食店を開くのは、敷金礼金があったり、衛生の免許も必要でとても大変ですが、そうしたハードルをもう少し低くして、ほとんど「家飲み」に近い形で、一時的にこうしたバーをオープンできる仕組みが作られています。


[左:素人の乱(なんとかBAR)、右:渋家]

また別なDiY的スペースの例に「渋家(シブハウス)」というシェアハウスがあります。渋谷にあるのですが、地価が高いとはいえ、20人くらいが少しずつお金を出し合えば、一軒家を借りられる。色々共有すれば安く済むということで、共同で住んでいたり、夜中まで遊んで帰って寝る場所として使う人もいたりします。私は以前トークイベントに呼ばれて行ったら、皆ほとんど寝ている時間帯で、布団が敷かれた中で喋るということがあって、すごくびっくりしました(笑)。今借りている家は、元々ミュージシャンが持ち主だったらしく、防音になっている地下では、クラブに行かなくても自前でちょっとしたパーティーができます。渋家には、アーティストやミュージシャン等、自分で何かを作りだしていくタイプの住人が多くて、彼らはライフスタイルや生活を作ろうと考えている。そこが面白いなと思っています。
たとえば、渋家にも関わっているTomadさんというミュージシャン/DJがいます。インターネット上で自分達のレーベルを作る、昔のインディーズレコードのような「ネットレーベル」という言い方があるのですが、彼は’Martine Records‘というレーベルを主宰していて、渋家の地下でイベントを開いたりしています。彼がこれを立ち上げたのは高校生の時で、今では日本で一番面白がられているネットレーベルのひとつです。中身を見てみると、もはやインディーズとして括ることができるようなレベルではありません。結構実験的なことを普通にやっていて、しかも映像や画像付きでどんどん流している。ネットレーベル自体がグローバルに広がっているものなので、実際に海外からのダウンロードも多いようです。「人気レーベル『マルチネ・レコーズ』が完全無料の理由」という記事にあるように、彼は音源を売ってお金を儲ける必要はないと思っている。イベントをオーガナイズして色々な所でやっているのですが、それは渋家でもいいし、一方でメジャーから声がかかれば著名なミュージシャンのリミックス等もやったりしている。一見するとバラバラな活動のように見えますが、DiYを考える時に、こういうスタイルが次々と出てくることはとても重要です。

—増殖するDiYアートコレクティヴ
もうひとつ、現代アートから事例を紹介します。1960〜70年代に日本の現代美術のひとつの中心になった「美学校」という美術の学校があるのですが、そこで今、Chim↑Pomというグループの卯城竜太さんが講師をしていて、学生で「天才ハイスクール!!!!」というグループを組んでいます。美学校には入試がないので、美術とこれまで全く関係なかったような学生が入学することも少なくありません。彼らが出展していた「Trans Arts Tokyo(2012年)」という展覧会では、作品の数々が展示スペースに広がっていて、玉石混淆なのですが、時々面白いものがある。例えば、この作品(キュンチョメ「風船ウサギ」)は、ぬいぐるみを被った人が風船を子供にあげようとするのですが、受け取ろうとする目の前でパッと手を離して、子供は風船を呆然と見るという、そんな悪魔のようなパフォーマンスをやっています(笑)。彼らは、先程出た「素人の乱」の12号店というフリースペースで、月に1回企画展をやったり、山本現代という現代美術のギャラリーでも展覧会が開かれたりします。現代美術のアーティストの育成というと、どうしても芸大やムサビ、多摩美などの美大でノウハウをきちんと学んで、その中から作家が出てくるというイメージがありますが、今はそうした大学を中心としたヒエラルキーが、想像以上に崩れ始めているという感じがします。その背景にはもちろんテクノロジーの発達もあり、大学以外にも、学んだり情報を得たりする場所がネット上に増殖しているということがあります。これまでは、アーティストになるには美術大学に行って、先生に認められて、銀座の画廊で展覧会をして、権威のある批評家に認められてというステップが存在しましたが、もうそんな構造はすっかり崩壊していて、たとえば、素人の乱12号店のようなオルタナティヴスペースでいきなり展覧会をして面白がられて世に出てくるというようなステップの在り方が、この2〜3年ではっきり見えてきた。今、個人的に文化シーンで面白いと思っているのは、以上のような作家達やスペース、あるいはZINEのような実践です。これらは、あるひとつのムーヴメントになっています。70年代の終わりにパンクから始まって、80年代の終わりにはレイヴカルチャーとして、そして90年代にはネットカルチャーを中心に始まったDiY的なものが、現在の日本ではすごく広がっているのです。

—贈与経済の時代
これらは、ある種の「贈与経済」が中心となったような文化です。贈与経済とは、文化人類学者のマルセル・モースが『贈与論』という本の中で使っている言葉で、その後色々な場面で使われるようになりました。交換経済の中に生きている我々は、お金と物の交換、あるいは物々交換が当たり前だと思っているかもしれません。けれども、文化人類学者が20世紀に世界中を旅して発見したのは、そうではない経済がたくさんあるということでした。たとえば「ポトラッチ」と呼ばれる経済では、まずお客さんが来たら客人に対して一方的にもてなして、ご飯をふるまったり、物をあげたりします。「受け取らない」と断られたら、それを燃やしたりもする。それを発見した西洋人達は理解できず、時間やエネルギーや資源の無駄であるとして、ポトラッチ的なやりとりを禁止しました。しかし、マルセル・モースのような文化人類学者は、そこにこそ本来的な経済があったのではないか、何かを交換する経済というのは、むしろ我々が事後的に見つけてきた経済で、人と人の原初的なやりとりは、よく分からないけど何かあげてしまう、それに対してもらってしまったから仕方なしに返すという形だったのではないか、と考えます。文化人類学においては、贈与という行為はある種の地位や権力と結びついていて、一方的にもらったままだと地位が相対的に下がってしまい、権力に支配される側に回ってしまうから、それを取り戻すために何かを返すのだ、という説明をしたりもします。
権力の問題はさておき、とりわけ、本や映画や美術などの文化の領域では、何かをしてあげたいとか、タダで配りたいという欲望が実は先に存在して、そうした欲望で人々は活動を始めることの方が多い。こういうことを言うと、DiYやフリーカルチャーを扱う時に必ず出てくるように、そんなことをしても結局生活もできないし、何にもならないじゃないか、という人もいます。けれども、マネタイズのことばかり言って結局何も始まらないという閉塞感の中で、マネタイズなんか関係ないと思ってやっている人達が、もはや文化を動かし始めている。たとえば、それは、ネットレーベルかもしれないし、ZINEかもしれない。儲かってないかもしれないけど、そこで動き始めている文化があるのです。パンクロックにしても、レイヴカルチャーにしても、そこからお金儲けした人もきっといたでしょう。でも、そういうことを考えずにまずは面白いことをやろうと行動を起こし始めた人だけが文化を動かしたというのも事実です。それを抜きにマネタイズの議論が先行してしまうと、そもそもDiYをどう考えるのか、あるいは文化の中で消費者となって生きていくことをどう考えるかという問題に突き当たってしまうと思います。

質問者1:お話どうもありがとうございました。今日紹介していただいた現代日本のDiY運動は、海外の運動と比べた時に、独自性や特徴があるのかどうか、お聞きできればと思います。

——やはり欧米のDiY文化は政治的要素が強く、たとえば警察との関係においても緊張感をもって発達してきました。Reclaim the Streetsもそうですが、捕まる人もいるし、犯罪と認定されたりもする。海外のDiY文化の特徴は、そうした政治的な面と、もうひとつは思想的、哲学的理論を使った議論を好むということでしょうか。日本のDiYでは、政治や理論を語らない人も多い。日本の状況を考えると必ずしも警察との緊張関係を作り出すことが得策とも言えないのは事実です。一度逮捕されると拘束も長いし、その後仕事を失ったりと、社会的なコストが高い。ですから合法的な範囲で、たとえば部屋や場所を合法的に皆で借りてやりましょう、というような方法を取ることが多いと思います。ヨーロッパでは、70年代の終わりから現在に至るまで「スクウォッティング」という空き家になっている場所を占拠して、皆でカフェを作ったりするような実践が色んな所で行われてきました。しかし日本、特に東京のような都市部では、そもそも持ち主がはっきりとしない場所があまりないので、それに対応する活動が事実上ほとんどできません。その代わりに、たとえば、東京には崩れそうになって貸すに貸せないような場所が結構残っているので、そういう所を非常に安く借りる、あるいは1年間の期間限定で何かやる、ということが随分できるようになっています。少子化や景気が悪いという問題もあると思いますが、必ずしも権力や警察と緊張関係をもたないで活動するスタイルがすごく多い気がします。
もうひとつ日本的とよく言われるのは、人間関係に依存する部分が大きいということ。たとえば、ヨーロッパやアメリカの人達は、素面で民主主義について熱く議論するけれども、そんな問題は酒を飲めば大体解決する、というようなことです(笑)。かなり乱暴な言い方ですが、実際そのような側面はあって、最初はすごく真剣に議論していたけれど、途中から酔っぱらってよく分からなくなって、最終的には友達になって帰る、というような人間関係の作り方が、多かれ少なかれ日本的DiYの基盤にあるような気がします。理論的に何かを作っていく代わりに、人間関係が出来ていくことが重要なんですね。そうした日本的な側面はありますが、その一方で技術やノウハウ関係は、インターネットを通じて伝播がものすごく早いので、そういう意味ではグローバル化が一気に進んでいるとも思います。

質問者2:同人誌等では、出版社の青田買いによって小説家や漫画家がマスに取り込まれて行くようなケースもあると思うのですが、ZINEに関しても、同じような流れがあるのでしょうか?

——特に文芸では、かつては仙台でも名古屋でも地方都市に同人誌がたくさんあって、熱く作られている時代がありましたが、メジャーな文芸誌とのヒエラルキーがあって、中央のマスメディアに対して地方の文芸誌でしかなく、ZINEという言い方すらなかった。逆に今のZINEは、マスメディアの限界を感じてやっている人が多いということが、ひとつの特徴のような気がします。昔であれば小説家でも音楽家でも、大手から一回出せば、何となく一生食えるような構造がありましたが、今ではすぐに使い捨てになってしまいます。多くの人にとって、メジャーでデビューすることのメリットがあまりなくなった今、自分の手の届く範囲で面白いことをやって、継続していける仕組みを作っていこう、というのがネットレーベルやZINEなどの運動なのだと思います。大手の人は「マイナーなことをやっても仕方ないからメジャーで売り出しなよ」と言うかもしれませんが、でもそれ自体が構造として変わってきた、という気がします。

質問者3: DiYの文化の中での「場所」がもつ意味合いについて、どのようにお考えかお聞きしたいです。

——大学で教えていて思うのは、ネットで調べるとかなりのことが分かりますよね、だいたいのことはWikipediaに書いてあるし(笑)。ですから皆、Wikipediaに書いてないことを喋らざるをえない状況になっているのだと思います。一方的に何か書いて済むようなものは、ネットで事足りますが、インタラクションによって初めて生まれてくるような知識は、やっぱり実際に会わないと生まれない。やはりTwitterでやりとりしているだけでは生まれない部分がどうしても残る、ということが興味深いと思います。
co-labもそういうことを考えて作られていると思いますが、大手の雑誌でもSOHO化が進んでいて、家で仕事している人は多いですよね。編集も、メールでやりとりしてデザインを送ったり、人と全然会わずにやっているような人もプロの人もすごく増えている中で、だからこそ会う空間を作っていかないといけない。人と会う空間は、昔は学校や会社が中心でしたが、それが変わってきた。別に学校や会社のように制度化された場所で会わなくてもいいじゃないか、というのが今起きていることで、それが先程触れた気流舎のような、色々なDiY空間になっているのだという気がします。

質問者4:とても面白いお話をありがとうございました。2つほど質問があります。まず、今日伺ったような事例は、マスメディアに載っていないからこそ、どう見つけたらいいのかということ。もうひとつは、ZINEのカルチャーが空前の盛り上がりを見せているというお話がありましたが、以前と比べてなぜ盛り上がってきたのか、そのように思われている理由をお聞きしたいです。

——情報を集めるには、今日挙げたようなスペースでよくやっているイベントに行くことでしょうか。ただ、結構身内で集まっている感のある場所も多いので、参加しづらければ、自分自身で同じようなものを作るというのが、DiY的には正しいと思います。ふたつ目のZINEが盛り上がっているという最大の実感は、自分の周りでメジャーな雑誌の特集を話題にすることがあまりなくなってきているのですが、『未知の駅』や『砂漠』等のZINEは、Twitterで話題になるのに近いリアルな感じで流通しているということです。もちろん500部とか1000部とかの世界ですから、そんなにマーケットとして大きいわけではありませんが、だからこそ盛り上がっているのだと思います。これが10000部になった時には、皆がそこそこ楽しんでいるかもしれないけど、結局誰が心の底から楽しんでいるのかは分からないようなメディアになっていく。けれども、500部だと、皆が楽しんでいるかどうかは分からないけど、少なくとも誰が楽しんでいるのかはよく分かるようなメディアとしてあって、そっちの方が刺激として面白い。それをどれだけ多くの人が色々作っていくかという時代に変わってきていて、そのインフラが整ったのが今なのだろうという気がします。

質問者5:このようなカルチャー自体を流通させたいという時に、500部から部数を増やしてメジャーにするのではなく、どのように流通させたら、関わっている人が嬉しくて、これから先も面白い500部のZINEが出続けるのか、という広め方の展望があれば教えていただきたいです。

——例えば、Lilmag等、ZINEの専門ショップやネットでの流通もあって、もちろんそんなに儲かっているわけではないと思いますが、そういう所を通じて見えるようになってきているので、広がればいいなと思っています。ただ、繰り返しになりますが、マスに取って代わっていくようなものではない。けれども今のポイントは、それ自体でビジネスを成り立たせようとせずに自分のやりたいことをやっている人の方が、プロフェッショナルでやっている人よりも結果的に勝ってしまうということです。DiYによって作られたものが技術的にプロとほとんど変わらないことができた時には、「売りたい」ということを前提として作っている人は、「作りたい」という人に負けていく構造というのが、どこかで出てきている気がするんですね。
大学でよく言うんですが、どういう社会を目指すかという時に、ひとりのスーパースターがいて10万人集めるコンサートを10回開くような社会と、スーパースターはひとりもいないけど、誰もが50人くらいの観客を集めて毎晩コンサートを開けるような社会とどっちがいいかというと、私は明らかに後者の方が面白いと思っています。50人くらいでも皆が楽しめて、満足度があって、そこで経済が回っていることの方が、社会としては全然健全だと思っている。もちろんスーパースターがいなくなるとは思わないし、それはそれで重要な機能も果たすとは思いますが、社会全体の流れとしては、少しずつその方向に移っていっているような気がします。
ですからZINEは、ベストセラー作家のように100万部売る必要はなくて、500部でも、というか、500部だからこそかなり面白いことがやりとりできる。100万部売れても何も変わらないくだらない本が出るよりも、少なくとも500人にとっては人生を変えるようなことが起きていることの方が、きっと良いだろうと思うのです。70年代からずっとあったDiY文化の中で、そういう世代が生まれてきた。そこが面白さなのです。

質問者6:DiY文化における集合性、コレクティビティという特質について、もう少し詳しくお伺いできればと思います。

——DiY文化のひとつの特徴は、集合性が高いということです。それは、天才ではなくて創造性だ、という言い方に尽きると思うのですが、あるひとりの人が引っ張って皆がついていくモデルではなくて、それぞれの人がそれぞれのことをしながら、トータルで見ると面白いものができているという構造が根底にあるからだと思います。DiYのモデルが音楽にあったということがそもそもですが、バンドってだいたい一番優秀な人を抜擢して組むのではなくて、たまたまクラスにいた仲間で組むわけですよね。一緒にいて刺激を与え合う、ある種の相乗効果でスパークをして出来ていくようなものが集合性だと思うのですが、いわばそうしたロックバンドモデルが、文学や映像等、色んな所に広がっているような気がします。ZINEも、確かに一人ひとりの書き手は面白いですが、まさにオーガニックとしか言いようがない横の有機体的な繋がりを感じます。アートでも、ユニット名で活動する人がとても増えていますよね。そういう有機的な繋がりが創造力を作っているということは、今のひとつの傾向だと思います。

質問者7:ZINEの実践の中で、マスメディアとDiYの相互関係という面から面白い事例があれば教えて下さい。

——古典的な物言いですが、本来的にマスメディアは、人々の考え方を標準化、均質化する機能を強くもっています。特にテレビは忘却のメディアで、新しいニュースが次々と出るので、震災のことも、20万人近くが官邸前に集まったことも、あっという間に忘れ去られる。その忘却の力たるや、ものすごいパワーです。そういう消費のスピードからすると、ZINEはものすごく遅いし、些細なことにこだわっている。とはいえ「メディアを恨むな、メディアになれ」と言っても、ZINEの役割は、必ずしもマスメディアを批判することではないと思います。マスメディア批判はマスメディアでやった方が効果的だし、役割としてすごく違うことだと思います。
日本の場合、皆本当に同じ新聞やテレビを読んで物事を判断していて、その中から日本人の均質性のようなものが作られてきました。ZINEがマスメディアをうまく利用していくことは難しいでしょうね。ZINEはむしろ、新聞やテレビでは、伝わらないニュアンスや、消費されたままで終わってしまったことを補完しているのだと思います。ZINEの面白さは、誰にも知られず全然売れてもいなかったけれど、実はすごかったアーティストや小説家を取り上げるような、独特のノリがある。あるいは、マスメディアよりも長いスパンで世界を捉えることができる。たとえばTwitterは、140字書いて3時間乗り遅れるともうついていけないメディアです。インターネットは意外と長期で物を考えるのには向いていない。ZINEが紙に刷ってあるということの意味は、そういうことなのかなという気がします。

毛利嘉孝
1963年、長崎県生まれ。京都大学経営学部卒業。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジにてPh.D.(sociology)を取得。九州大学助教授などを経て、現在、東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科准教授。専攻は社会学、文化研究。音楽や美術などの現代文化やメディア、社会運動を中心に研究と批評を行っている。
著書に『文化=政治——グローバリゼーション時代の空間叛乱』(月曜社)、『ポピュラー音楽と資本主義』(せりか書房)、『はじめてのDiY——何でもお金で買えると思うなよ!』(ブルース・インターアクションズ)、『ストリートの思想——転換期としての1990年代』(NHK出版)など。共著に『カルチュラル・スタディーズ入門』『実践カルチュラル・スタディーズ』(上野俊哉との共著、ちくま新書)など。